一か月前から坂を転げ落ちるように体調が悪くなった義父は、火曜日(25日)に抗がん剤を受けて帰ってから日に日に容態が悪化し、トイレもそこいらじゅうでする様になり、ついに金曜日(28日)には急に足が立たなくなりました。
呼吸、咳の状態も悪く救急車で病院へ行った義父は肺がんが脳へ転移をしていました。
ICUでいったん落ち着いたところで一旦家に戻った家族に病院から容態が急変したと呼び出しの電話、危険な状態だとの事で駆け付けたのですが着いた頃には何とか乗り切り症状は安定していました。
そこで初めて義父の主治医と対面した私たちは義父の病気の状態を聞き、事の重大さからして何故最初の時点で私たちに病気の状態や治療の説明をしてくれなかったのか?と。
また、十分な理解をしていない老夫婦に医師の一方的で勝手な治療をして良いものだろうか?
インフォームド・コンセントの重大さ、機能が働いていないのではないのか?とか。
前日の木曜日(27日)にはインシュリンの測定器を無くしたというので病院へ出かけ、薬剤師の方に注射の打ち方や血糖値の測定の仕方を聞いた私は、薬剤師の方が確認してくれたカルテから注射の量が間違っていた事。
腫瘍マーカー(CEA)も1000は軽く超えている状態で、最後の数値は1500超え、義母が痴呆症状を訴えていたにもかかわらず、15日の検査は肺のCTの予定だった事など。
まったくいい加減な流れ作業な診察で、患者の断片的な健康状態だけを見て判断し抗がん剤を受けさせ帰した事。
その他いろいろと、言いたいことは沢山あったのですが、もう今更脳に転移をしていると知らされ、手術も出来ず、いつ痙攣や呼吸停止が起きるかも解らないので最期の逝かせ方はどうしますか?との主治医の言葉で、もう長くはないことを知り落胆しました。
それと同時にますます医療機関、医者に対しての不信感は募るばかり。
木曜日(27日)に病院へ出向いた際に、病院の地域連携、がん支援センターで義父の痴呆症状の事やら相談をしたものの、結局は支援センターも大して役に立たず、家に戻って役場に電話して介護認定が下りる前に何かサービスは受けられないだろうかと問い合わせをしてみたら、包括支援センターを紹介され、早速出向いたものの介護施設に問い合わせてみろと言う有様。
あちこちとほんと疲れてしまった。。。
その翌日には完全に寝たきりとなり、痰も自力で出せない状態で、救急車で病院へ運んでもらったものの徹夜状態みたいなもんで、本当に疲れました。
おまけに突然いつ逝ってもおかしくない状態の中で、相続の問題が発生。
まさかの義父に、認知した子供が居たという事が知らされ、いったいこの家は何なんだと思う。
ややこしい家だな~ 親子揃って 男連中。
それに認知をするのは妻に内緒で出来るため、事実を初めて知らされた義母も部屋じゅうのオシッコ掃除やらで疲れ果ててグッタリな様子。
「もう私やお父さんの世話やしたくないんで~」と。。。気持ちは解ります。
今日は大阪から息子が帰ってきて、義父と対面したのですが、今日は意識がハッキリして息子や孫も認識。
脳の癌のまわりのむくみを取る点滴を受けているせいか、よく話してました。
相変わらず、痰は自分では排出できないので詰まらないように時々吸引してもらってますが、それがすごく苦しいので看護師さんに「痰は出よる」とウソをつくそうです
予断を許さない状態でいつ電話がかかってくるか解りませんし、もしかしたら病院に着いた時にはもう息を引き取っているかもしれません。
そういう事も覚悟して、しばらくは忙しいかな~
出来る限りの事はしてあげようと思ってます。
呼吸、咳の状態も悪く救急車で病院へ行った義父は肺がんが脳へ転移をしていました。
ICUでいったん落ち着いたところで一旦家に戻った家族に病院から容態が急変したと呼び出しの電話、危険な状態だとの事で駆け付けたのですが着いた頃には何とか乗り切り症状は安定していました。
そこで初めて義父の主治医と対面した私たちは義父の病気の状態を聞き、事の重大さからして何故最初の時点で私たちに病気の状態や治療の説明をしてくれなかったのか?と。
また、十分な理解をしていない老夫婦に医師の一方的で勝手な治療をして良いものだろうか?
インフォームド・コンセントの重大さ、機能が働いていないのではないのか?とか。
前日の木曜日(27日)にはインシュリンの測定器を無くしたというので病院へ出かけ、薬剤師の方に注射の打ち方や血糖値の測定の仕方を聞いた私は、薬剤師の方が確認してくれたカルテから注射の量が間違っていた事。
腫瘍マーカー(CEA)も1000は軽く超えている状態で、最後の数値は1500超え、義母が痴呆症状を訴えていたにもかかわらず、15日の検査は肺のCTの予定だった事など。
まったくいい加減な流れ作業な診察で、患者の断片的な健康状態だけを見て判断し抗がん剤を受けさせ帰した事。
その他いろいろと、言いたいことは沢山あったのですが、もう今更脳に転移をしていると知らされ、手術も出来ず、いつ痙攣や呼吸停止が起きるかも解らないので最期の逝かせ方はどうしますか?との主治医の言葉で、もう長くはないことを知り落胆しました。
それと同時にますます医療機関、医者に対しての不信感は募るばかり。
木曜日(27日)に病院へ出向いた際に、病院の地域連携、がん支援センターで義父の痴呆症状の事やら相談をしたものの、結局は支援センターも大して役に立たず、家に戻って役場に電話して介護認定が下りる前に何かサービスは受けられないだろうかと問い合わせをしてみたら、包括支援センターを紹介され、早速出向いたものの介護施設に問い合わせてみろと言う有様。
あちこちとほんと疲れてしまった。。。
その翌日には完全に寝たきりとなり、痰も自力で出せない状態で、救急車で病院へ運んでもらったものの徹夜状態みたいなもんで、本当に疲れました。
おまけに突然いつ逝ってもおかしくない状態の中で、相続の問題が発生。
まさかの義父に、認知した子供が居たという事が知らされ、いったいこの家は何なんだと思う。
ややこしい家だな~ 親子揃って 男連中。
それに認知をするのは妻に内緒で出来るため、事実を初めて知らされた義母も部屋じゅうのオシッコ掃除やらで疲れ果ててグッタリな様子。
「もう私やお父さんの世話やしたくないんで~」と。。。気持ちは解ります。
今日は大阪から息子が帰ってきて、義父と対面したのですが、今日は意識がハッキリして息子や孫も認識。
脳の癌のまわりのむくみを取る点滴を受けているせいか、よく話してました。
相変わらず、痰は自分では排出できないので詰まらないように時々吸引してもらってますが、それがすごく苦しいので看護師さんに「痰は出よる」とウソをつくそうです
予断を許さない状態でいつ電話がかかってくるか解りませんし、もしかしたら病院に着いた時にはもう息を引き取っているかもしれません。
そういう事も覚悟して、しばらくは忙しいかな~
出来る限りの事はしてあげようと思ってます。